吉野町浄見原神社の国栖奏 2020

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2020年2月7日撮影

毎年旧正月十四日に、奈良県吉野町南国栖の天武天皇を祀る浄見原神社で国栖奏が古式ゆかしく行われます。
国栖(くず)という所は日本書紀に出てくるほどの古い土地で、神武天皇が熊野から大和に入るときにこの土地で磐石をおしわけて出てきた尾を持つ人に出会い、日本書紀には「これすなわち吉野の国栖部が始祖なり」と記されています。

国栖奏は第15代応神天皇が吉野の宮に行幸されたときに、国栖の人たちが禮酒(こさけ)、土毛(くにつもの)を捧げて歌舞を奏して天皇を慰めたとされています。
天武天皇が第40代天皇ですので、応神天皇ははるか昔の天皇で、実在したとか伝説上の天皇だとか諸説あるようです。

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神官に先導され十二名の翁たちが、笛翁が奏でる笛の音と共に舞殿に入ってこられます。

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浄見原神社は巨大な岩山を削って社が立てられていて、すぐ眼下には吉野川の清流が流れて、天皇渕と呼ばれる深い渕が見えます。

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舞殿の柱に巻かれている植物は、ヒカゲノカズラです。山の中を歩いていると地面に群生していてよく見る植物ですが、古来より日本では神聖な植物とされています。
天照大神が天の岩戸に隠れたときに、岩戸の前でアメノウズメが踊った際に、この植物を素肌にまとったと言われています。

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笛と鼓の調べにのって、舞翁が鈴と榊を持って舞を奉納されます。

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国栖奏の歌詞は一歌から四歌まであり、四歌は応神天皇に捧げたとされる記紀に残る歌です。

橿の生に 横臼を作り 横臼に醸める大御酒 うらまに 聞こし持ち食せ まろが父

最後に氏子とお供えした方の名前が読み上げられ、一人ひとりの名前が読み上げられたびに翁たちが「エンエー」と囃してくれます。エンエーは遠栄の意味だといわれます。今日はお賽銭をあげようとして、お賽銭箱が見当たらなかったので受付でお金をお渡していました。自分の名前が呼ばれ「エンエー」と声がかかってかなりびっくりしました。

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ピンと張り詰めた空気の中で執り行われた舞の奉納も終わり、吉野川の渕を戻られます。

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舞殿に供えられていたお供えが下げられ間近で見ることができました。

毛溺(もみ) 昔時、当山間地方の最高の珍味として献上せしもの。
生きた赤蛙が金網のザルの中に入っています。カエルはこの時期冬眠しているのですが、今年は暖かいせいかとても元気で、舞の最中にも三宝の上で何回も金網に頭づきを食らわしていました。秋にカエルを捕獲してこの日まで飼っていたそうで、カエルが取れなかった年は木製の造り物のカエルが供えられるようです。
土毛(どもう) 根芹禮酒(こさけ)と共に応神天皇に献上された
腹赤の魚(はらかのうお)ウグイ 天武天皇に献上せしもの、占いにも使用
禮酒(こさけ・れいしゅ) 応神天皇が吉野に行幸のみぎり献上せしもの
山菓(さんか)くり 昔時、当山間地方の貴重なる食物なり

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赤蛙のアップです。吉野の方言で食べ物が不味いことを「もみない」とか「もむない」というのですが、語源はこの毛溺(もみ)から来ているようです。毛溺が無いと食事が美味しくないので「毛溺無い・もみない」となったとか。